ドリル帝国ブログ

ボドゲと映画とときどき旅行

ゆったり旅

この土日は毎年恒例になった某裏方のバス旅行があって参加してきた。西は甲府くらいまでしか行ってなかったので今回は三河の方へ。掛川、浜松、舘山寺温泉といった感じ。今回は幹事その2の元ガイドの子が身内の不幸があって、夫婦そろって参加キャンセルで非常に残念。
で、いきなりハプニングというか大ポカをかます。私の脳が待ち合わせ時刻の8時を何故か図〜っと9時と変換していて、何度も確認しているのに待ち合わせ時間だけ間違っているというダメ現象をかまして遅刻。待ち合わせ場所が近かったことと、高速にのるのに家から5分の所まで来てもらえたので事なきを得たわけじゃないけど、とりあえず土下座ですみました・・・申し訳ない。
さて、一路西へ。最初に海老名のPAで休憩という感じだったんだけど何故か渋滞が始まっている。結局見物渋滞ということがあとで分かるんだけど、私の遅刻も相まって予定が押し始める。でもこの時に寄った港北PAで食べたアジの唐揚げ(150円)が当たりだった。もっと買えばよかったと後悔したくらい。
最初に寄ったのはお茶の郷博物館。ここは昼食と館内見学。ご飯は美味しかったし、博物館内の場所場所でお茶をいただけてそれもまた美味しかった。
続いてほんの20分ほどで掛川花鳥園へ。実はここに来るまではもっと鳥専門の動物園といった風情を想像していたんだけど、基本ほとんどの鳥と触れ合えてしまうような楽しい施設だった。のっけからペンギンと水鳥に餌があげられたり、手とか肩にインコとかオオハシなんかを乗っけられたし、餌もあげまくったし、エミューとかペリカンとか大迫力だったし。ドクターフィッシュで足をリフレッシュしたりもした。藤棚のような花も綺麗だったなぁ。最後にふくろうを手に乗せてふれあえるってのも時間が合ってやって後にすることに。
この時点でホントは自衛隊浜松基地エアーパークへ行く予定を翌日に回す。運転している幹事その1とか参加者にエアーパークをものすごく楽しみにしてるのが多いのでまぁこうなるんじゃないかということだったらしいけど。
そしてそのまま舘山寺へ。到着して今後のスケジュールや部屋割りなんかがすんだら早速私は一人で舘山寺へ。せっかくなので御朱印帳も買って御朱印いただいてきた。舘山寺をお参りしてそのままその上にある聖観音もお参り。展望台に行って夕景を楽しんだ後、浜の方にも寄って宿に戻る。
すでにバスの中でもしこたま飲んでるんだけど、宴会でも飲んで騒いで、飲み部屋でも夜中まで飲んで2時ぐらいからボドゲをやって寝たのがこの前の合宿と一緒で4時でした。
一応宴会前に宿の風呂に、宴会後に近所の日帰り温泉施設に行って温泉も堪能したことも書いておかないとな。
朝ご飯済ませて近所の佃煮屋でおみやげを買い早速出発。9時過ぎに浜松エアーパークへ。
ちょうどドームスクリーンで20分の映画が始まるということでみんなで見る。あ、高所恐怖症のが一人見てないけど、そのくらいの浮遊感のある映像で、私もちょっと画像酔した気がする。
その後は展示を見て回り、メインエベントの格納庫展示へ。一面の飛行機とヘリの展示に圧倒される。実家今回もここでコスプレをする機会が。自衛隊のフライトつなぎとヘルメット、ブーツを借りていっぱい写真とってもらう。コクピットに乗れるのも幾つもあってもちろん写真撮ったり撮られたり。年甲斐もなくはしゃいだ気がする。
ひと通り展示を見て回って2時間弱楽しんでエアーパークを後に。つづいて竜ヶ岩洞へ。朝ご飯がけっこうな量だったのでお昼なんだけど買い食い程度に。この鍾乳洞は大体30分くらいで見て回れるんだけど、堆積して柱状になっていく石灰とか地下水の滝とか神秘的だった。中涼しくて外でたら暑い暑い。ただ、このあと急激に天気が下り坂になっていく。
長篠城址を見た所でポツポツきはじめ、次の鳳来山につくまでに土砂降りに。駐車場から鳳来山東照宮まで500mほどあるのでやめておくか?とちょっとなったんだけど、傘借りてダッシュで向かう。次第に雨が弱くなってきて、お参りしたらすっかり晴れ上がりました。あの雨だったら行かなかったその奥の鳳来寺にも行ってどちらも御朱印をいただき、帰ろうと思ったら、雨が上がったからかみんなお参りに来ている。標高高いのでなかなかの絶景が拝めましたよ。
あとは一路帰るだけなんで、渋滞よけながら。帰りの足柄PAでそろそろお腹も空いたってんですきやきのおやきとお好み焼きのたい焼きを食べる。なんか4食食べてるみたいだが180円と190円の炭水化物多めの晩飯だったがどっちもうまかった。
21時前に新宿に到着。21時過ぎには帰ってこれて、さすがに日が変わるころに就寝。寝る前にドキプリだけは見たけどw
何にせよまた楽しい旅行だった。自分遅刻は大反省だ。時折こういう脳のメカニズムが不思議になるなぁ。
そして今日は震災から2年。まだまだ震災復興ひいては原子力についていろいろ進めなきゃいけない、考えなきゃいけないとおもう。