ドリル帝国ブログ

ボドゲと映画とときどき旅行

たのしいこと

何か作っている時というのは、それが仕事であれ何であれ楽しい。締切りに追われ、ぎりぎりの状況でも、何かを作るということは楽しいと感じるので、私は創作者としてのある一部分は向いているのだと思う。
ただ問題は、創作に対する重要なセンスのようなものが欠けていることも自覚している。絵も描くけどうまくならないし、話を書くけど中途半端なものだ。デザインセンスもパッとしないし、人を惹きつける個性もない。人の目にふれるようにする努力もコレといってしてないし、人から評価されたこともないし避けているフシもある。
それを自覚していても創作は楽しいのだな。だから続けていられるし、逆にやめどきなどとうの昔に見失っているし。今絵を描いているのはほとんど自分のためだ。自分が見たい絵を自分で描いている。締切りがないときっと描く必要性を見失ってしまうから、年2回スペースを取って作品を発表している。でも、机に並べている物って、自分が見たくて描いたものなので、需要にマッチしていないことは良くある。だから手にとってもらえないこともあるし、打ち捨てられることもある。
絵はそれでもいいのだけど、ボドゲの創作はそうはいかない。ボドゲが自分ひとりで完結したものじゃないからだ。その分、人の目を意識したものを作ろうという意識が働く。で、やっぱりそういった意識があったほうが健全だなと思う。世の中で不健全だと言われるものでも、それを意識して作ったものは内容が不健全でも創作物として健全だ。
話が飛躍するけど、今の政治の中で生み出されるものって、この人の目がある意識のない、独りよがりの絵を描く作業に似ている。自分が求めるだけで、誰にも求められず、へたをすると人に害悪を与えてしまう。
それが趣味の範囲なら文句は言われないけど、国家のこととなったらそれでは済まない。現政権はいつになったらこの人の目に気づくんだろうか。レイプ目が許されるのはかわいいオニャノコだけだぞ、バ管や賤獄がレイプ目してたって痴呆しか疑わねぇよ。
よし、話変えて、タクティクスオウガ運命の輪が届いた。本命のこえであそぼうハートキャッチプリキュア!は届かなかったが。オウガを早速やってみたがやっぱ面白い。やばい。なのでちょっと封印・・・出来るかどうか5分5分。死者の宮殿みたいなのって今の世の中もそうだけど、携帯ゲーム機ではうけないだろうなぁ。私は大好きだが。
そして、昼休みにPSSPの電源を入れたらUMDが入ってなくて何もできなかったのでした。MHP2Gに入れ替えたつもりが、オウガだけ出してそのまま持ってきたもよう。しょぼんぬ。